20250716克拉克博士

一亩三分地

<p class="ql-block">▲ クラーク博士記念館</p><p class="ql-block"> クラーク博士の生涯や親しみやすいエピソードなどをまとめたパネルを展示。博士が北海道の発展に与えた影響や教育方針について知ることができます。フォトスポットとしてクラーク博士の木像も展示していますので、お気軽にお立ち寄りください。</p> <p class="ql-block">▲ クラーク博士の誕生日であり、クラーク博士が1876年に札幌に到着した日でもある7月31日にちなみさっぽろ羊ヶ丘展望台では、7月25日~7月31日まで『クラーク博士ウイーク』を開催します。</p><p class="ql-block"> この期間のメインイベントとして「第2回大声クラークコンテスト」を行います。</p><p class="ql-block"> 大声クラークコンテストとは「Boys, be ambitious!」+「ご自身の大志」を叫んでいただき、声の大きさを競うものです。</p> <p class="ql-block">▲ “北海道開拓の父”</p><p class="ql-block"> ウィリアム・スミス・クラーク</p><p class="ql-block"> William Smith Clark</p><p class="ql-block"> クラーク博士は、明治9年7月、北海道開拓使長官黒田清隆に、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれました。</p><p class="ql-block"> 1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教の教えによる道徳を英語で教えるなど、大きな影響を与えました。来道してわずか8カ月余の札幌滞在でしたが、翌年明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちと島松(北広島市)で、馬上から、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだ、と伝えられ、まさに北海道開拓精神を代表することばとして、後世に伝えられていきました。</p> <p class="ql-block">パネル展示</p><p class="ql-block">クラーク博士の生涯をパネルで展示しています。博士の人となりが分かる豆知識の紹介もあります。</p> <p class="ql-block">▲ 紙芝居「さっぽろとクラーク博士」</p><p class="ql-block"> クラーク博士の功績を分かりやすく伝える紙芝居をパネルで展示しています。</p> <p class="ql-block">▲ クラーク博士像(木像)</p><p class="ql-block"> 木のぬくもりを感じられるクラーク博士像です。記念撮影に是非お立ち寄りください。</p> <p class="ql-block">▲ 这款纪念章已经敲不出印了!</p> <p class="ql-block">▲ クラーク博士に誓う未来への決意</p><p class="ql-block">「大志の誓い」</p><p class="ql-block"> あなたの大きな夢や希望を「大志の誓い」として用紙に書いて、クラーク博士像の台座にあるポストに投函、クラーク博士に祈願してください。「大志の誓い」は札幌観光協会が保存します。あなたがいつか再び羊ヶ丘展望台を訪れたとき、過去のあなたの「大志の誓い」を読むことができます(「誓い」を投函した年月日と氏名により対面可能です)。</p><p class="ql-block"> 羊ヶ丘展望台でのみ実施しています。また、1枚100円の保管料がかかります。</p> <p class="ql-block">TOP About Dr.Clark・クラーク博士について</p><p class="ql-block">クラーク博士とは?羊ヶ丘展望台とクラーク博士像クラークポーズと「大志の誓い」</p><p class="ql-block">ウィリアム・スミス・クラーク</p><p class="ql-block">“北海道開拓の父”</p><p class="ql-block">ウィリアム・スミス・クラーク</p><p class="ql-block">William Smith Clark</p><p class="ql-block">クラーク博士は、明治9年7月、北海道開拓使長官黒田清隆に、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれました。</p><p class="ql-block">1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教の教えによる道徳を英語で教えるなど、大きな影響を与えました。来道してわずか8カ月余の札幌滞在でしたが、翌年明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちと島松(北広島市)で、馬上から、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだ、と伝えられ、まさに北海道開拓精神を代表することばとして、後世に伝えられていきました。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block">「羊ヶ丘展望台」と</p><p class="ql-block">「クラーク博士像」</p><p class="ql-block">クラーク博士像</p><p class="ql-block">もともとクラーク博士像は、北海道大学(以下北大)構内にある胸像のみでしたが、有名なポプラ並木の景観とこの胸像を目的として北大を訪れる観光客が年々増加し、いわゆる観光公害現象が生じていました。その結果、昭和48年に北大当局は、学術研究のさまたげになるとして、観光バスの構内乗り入れを制限しました。</p><p class="ql-block">しかし、クラーク博士の像はその時点で既に札幌観光のシンボルとなっており、観光客が像を見学できない事態を憂慮した札幌観光協会は、北海道開拓の原点ともいえるフロンティアスピリットの精神を全国に伝えていきたいという想いから、羊ヶ丘展望台に新しいクラーク博士像を建立する計画を立て、北大の了解を得ました。</p><p class="ql-block">北海道女子短大教授の坂 坦道(さか たんどう)氏に新しいクラーク像の制作を依頼し、坂氏は『丘の上のクラーク』というテーマのもと、早春の風にひらひらはためくフロックコートを着たクラーク博士が、右手を掲げて「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と叫ぶイメージで制作しました。掲げた右手は「遥か彼方の永遠の真理」を指すとされています。</p><p class="ql-block"><br></p><p class="ql-block">昭和51年4月16日、北大開基100年およびアメリカ合衆国の建国200年祭を記念し、ウィリアム・スミス・クラーク博士像『丘の上のクラーク』除幕式が執り行われました。この年はクラーク博士の来道100年であり、またこの日は100年前に島松で別れの言葉「ボーイズ・ビー・アンビシャス」が叫ばれた日でもありました。</p>