『蘊承軒•国際文化芸術窓口』連載之八十七中日新報2020.4.1版(中国語・日本語)奈良墨作りが深まったわけ

蘊承軒

<p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"></h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">『蘊承軒•国際文化芸術窓口』連載之八十七中日新報2020.4.1版(中国語・日本語)</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp;&nbsp;<span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3);">様々な条件が相まって---奈良の地での墨作り</span></h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 3月25日繼上月的活動,我又帶領蘊承軒的会員們一同拜訪了奈良制墨老舗・古梅園。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">  這次竹住部長主要講述了墨的歷史和原料:『油煙的煙煤顆粒比較均勻的;而松煙則顆粒不是很安定,光照射到這大小不同的煙煤顆粒上形成乱反射傳達到眼里,這發色微妙變化的特徵深受書畫愛好者的喜愛。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">  松煙墨原本是從中國傳到日本的,現在的正倉院就收藏著16方中國古墨,並且每隔幾年會定期展出一次。中国製墨最開始以松煙為原料,以後逐漸使用其它原料的過程中開始使用油煙(植物油)。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">  宋朝時燒制松煙的樹木因氣候的變化而長期發生供應不足的狀況,這時油煙開始作為製墨的主要原料。同樣日本也發生了同樣的狀況,日本也開始由松煙か改為用油煙製墨。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"><br></h3> <p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp; &nbsp;在日本墨是610年傳入,開始時是國家朝廷管理,在名為「造墨所」的地方國家製墨。隨著墨的傳入,佛教也被傳入日本,那時墨非常寶貴,寫經也需要大量的墨,因此寺院開始製墨,現在的很多寺院遺址里出土了製墨的用具證實了這一史實。之後在室町末期古梅園開始製墨。也就是說由朝廷、寺院製墨到室町末期發展到了民間製墨,並且延續到現在,古梅園已有443年歷史了。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp; &nbsp;民間製墨最初時各地都有,如九州太宰府、山陽道等,近畿地區也有很多,関西稍微偏東的地區在製墨記錄的文獻里有所記載,関西地區的製墨以奈良為重。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 因為奈良寺院多,因此製墨一直沒有間斷,再者是作為製墨的原料的植物油奈良產量很好,在油很寶貴的時期,寺院也將油分出一部分供應給製墨業者。奈良近鉄站稍微向西處有「油坂」的地名。「油坂」的意思如這名字字面一樣,緩緩的斜坡邊有很多油店。綜上所述,也就是奈良在就近有制煙煤的主要原料「油」、作燈芯的原料榻榻米草也是奈良的特產・・・還有其他各種相合的條件充分,使奈良製墨一直持續至今。』</h3> <p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp; &nbsp;這樣竹住部長細心講解後參觀了製墨。體驗握墨時,將匠人遞過來的不可思議的、輕輕軟軟的、暖暖的墨握到手心,不覺間展開特別美好的笑顏。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 然後將我帶來的唐墨和古梅園的墨及古墨進行比較試墨。古梅園第16代的松井社長和竹住部長也一同参加,大家共同感受了水墨的樂趣。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 這次是上個月以來第二次到古梅園見學。參加者深深意識到不僅用現下便利的墨汁作書作畫,從今開始應該用硯磨墨,來創作更有品格的作品。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 感謝松井社長和竹住部長及古梅園匠人和職員的協助和關照,也感謝熱心參加活動的會員們。很久很久以前開始墨就融入了日本人的生活。願通過這樣的活動,使人們更加發現墨的美好、墨的樂趣・・・並且對日本傳統文化的製墨的聲援和支持得以盡微薄之力。</h3> <p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">【日本語】3月25日、先月に引き続き今月も蘊承軒の会員さん達と一緒に奈良墨の老舗・古梅園の見学に訪れました。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp; &nbsp;今回も竹住部長が墨の歴史から原料に至るまで丁寧に語って下さいました:『油煙は非常に煤の粒子が均一で細かく、逆に松煙はその粒子が様々に不揃いです。墨の色は光りの乱反射で発生します。粒子に細かさや粗さが混じっている方がより色合いに変化が出るということで、松煙墨は特徴のある墨として書にも絵にも特に人気が有ります。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">  元々中国から日本に伝わってきたのはやはり松煙墨だったようです。今も正倉院には16丁残っています。何年かに一度、定期的に正倉院展に出品されています。中国での墨の発生について考えると、松煙(松の煙)というものを原料として作られた事が今現在分かっています。その後様々に原料を変えていくうちに油煙(植物油)になったようです。宋の時代に松煙を作る松の材木が気候の変動か何かで取れなくなった事があったようで、その時に油煙が使われ始めたと言われています。そのようなことは同じ日本でも起こりまして、日本でも松煙から油煙を使うように変わってきたということです。</h3> <p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">  墨は610年に日本に伝えられ、しばらくは国(朝廷)が管理していまいた。造墨所という所でお国が墨を作っていたわけです。墨は非常に貴重なものでした。墨と共に仏教も伝わってきました。お写経は大変重要な仕事で、多くの墨が必要だったのです。その為にお寺でも墨作りがされていたようで、色々なお寺の遺構から墨作りに使われた道具が出土しています。ここからお寺でも墨が作られていた事が証明されました。その後、室町末期にこの古梅園で墨作りが始まりました。つまり朝廷やお寺だけが作っていた墨を、一般人も作れるようになったのが室町の終わり頃という事なのですね。それが現在まで繋がって、443年という古梅園の歴史になります。</h3> <p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp; &nbsp; 最初の頃、墨は色々な場所で作られたようです。九州太宰府でも作られましたし、山陽道でも。近畿圏では特に多くの場所で墨作りがされたようです。関西、そしてちょっと東の方でも墨作りをしていたという記録が歴史的な文献に残っているそうです。それがだんだん集約されて関西に残りました。関西でも奈良は墨作りには一番の地域なのです。その要因はやはり奈良にはお寺さんが多かったという事でしょう。その為に墨作りを絶やすことができなかった。あとは原料の油がこの奈良では沢山取れたそうです。その当時、油は非常に貴重品で、その油を生産者に振り分けてくれたのがお寺だったようです。奈良には近鉄の駅から少し西に下った所に「油坂」という地名が残っています。「油坂」はその名の通りのちょっとなだらかな坂で、そこには油を扱う店が沢山あったようです。つまりすぐ近くで油も手に入る、(灯芯の原料となる)い草も奈良の特産品・・・そのほかにも様々な条件が相まってこの奈良の地での墨作りが今に続いているということなのです。』</h3> <p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> こうして詳しく説明して頂いた後、竹住部長は敷地内を案内して下さいました。その途中、今回も『握り墨』を体験させて頂きました。出来立ての墨を手で握った時の温かくて柔らかい不思議な感触に、参加した誰もが思わずとても素敵な笑顔になりました。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> その後、私が持って来た中国の唐墨と古梅園の墨又古墨を古梅園の一室で試墨しました。古梅園16代目の松井社長と竹住部長も参加されて、蘊承軒の会員さん達と一緒に水墨画を描く楽しさを分かち合いました。</h3> <p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 今回の連続二度に渡る奈良古梅園の見学は、墨を使って作品を制作する私達にとても良い体験となりました。参加された皆さんは、手軽さを重視して墨汁だけを使うのではなく、これからは心を込めて硯で墨を摺り、書でも絵でも良い作品を制作していきたいとの心が固まりました。</h3><p style="white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.3); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 松井社長と竹住部長をはじめ古梅園の匠と社員の方々には、今回も大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。またこのイベントに参加された皆さんも、本当にありがとうございました。大昔から墨は日本人の生活と共にありました。本物の墨の素晴らしさ、美しさ、楽しみ方を再発見して頂けるように・・・このようなイベントを通じて、微力ながら日本の伝統文化である墨作りの応援と支えになれたらと心から願っております。 執筆者: 李留雁</h3>