『蘊承軒・国際文化芸術窓口』焚香、品茗、刻印 ——京都香山堂篆刻家古浩興先生を訪ねて

蘊承軒

<p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">『蘊承軒・国際文化芸術窓口』三十九(中国語・日本語)中日新報</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;焚香、品茗、刻印&nbsp;——京都香山堂篆刻家古浩興先生を訪ねて</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">【日本語】&nbsp;京都への旅---篆刻家・古浩興先生を訪ねて</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 書法篆刻家の古浩興先生に初めてお会いしたのは2年前で、以来親交を深めてきました。その古先生が京都に戻られたのを知り、この3月9日に2人の友人と共にアトリエに伺いました。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 古浩興先生を紹介する前に、ここに『中国の篆刻史』をまとめて引用しながら、篆刻について知っておこう:</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 「篆刻は中国を起源としており、主に篆書印は篆刻の正統ですが、楷書、鳥虫、肖像を印文に彫ることも篆刻という。また金属の銅、金などを鋳造して印章を作成する場合も篆刻という。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 中国において篆刻史はすなわち印章の歴史でもある。古くは夏・殷・周に起源があるとする説もあり、現在確認できる最も古い印章は戦国時代まで遡ることができる。材質は多くが銅であるが銀や玉もみられる。朱文、白文ともにみられる。秦の始皇帝の時代には印章制度が整い、印章は辞令の証としての役割を持つようになる。皇帝の用いる印を璽とし、官吏や一般用は印と呼ぶようになった。これに加え漢代には将軍の印を章と呼ぶようになる。印章の材質やサイズ・形、鈕式などで階級や役職を表した。このとき印文に小篆を用いることが正式となり、漢代になってもこの制度は踏襲され、印章用の篆書が登場した。現代に至っても印章に篆書を用いるのが一般的なのはこの慣習が続いているからである。またこの頃鳥蟲書といわれる鳥や虫、魚などをモチーフにした独特の書体も用いられている。六朝時代には小篆の他に懸針篆と呼ばれる風変わりな書体も用いられた。また北斉の文献に紙に朱印で捺印したという最も古い記録がみられる。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">隋が中国を統一するといよいよ紙の使用が一般的となり、印章は封泥から紙に捺して使うようになった。このため印文は陽刻が主流となりサイズも大きくなる。引き続き唐代になると楷書・行書が浸透したことや国際化が進んだことで印文に隷書や楷書・異民族の文字が刻されることもあったが、そのほとんどはやはり篆書を用いた。この唐代になってはじめて印章を美術的に論じた文献が散見されはじめ、次第に印章に芸術性が求められるようになる。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">このような中で文人の余技としての篆刻は、北宋の米芾が開祖とされる。宋代から盛んとなった文人画は詩・書・画に印章を加えた総合芸術となっており、文人画家である米芾が自らの美意識に適う印影を求めたからだと思われる。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">元末の王冕は青田石という柔らかい石を印材に用いた。これはひとつの発明であり、明代に文人の間に篆刻芸術が広まる最大の功績となった。王冕も漢印から学び自己の風格を持った印を作成した。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">明代中期の文彭・何震の二人はもっとも傑出した篆刻家であり「文何」と称され尊敬を集めた。文彭は篆刻に生涯を傾け、漢印の研究を行ってその作風にとり入れ篆刻の発展に尽くした。それまで職人に頼って象牙などに刻させていたが偶然手に入れた石印材に自ら刻した後は、二度と他の印材は用いなかったという。この逸話がほかの文人にも伝わり、石印による篆刻が一気に広まったとされる。文彭の弟子の何震は徽派の祖として知られ、その一派に多くの篆刻家を輩出した。蘇宣・梁袠・汪関・朱簡・程邃・巴慰祖などである。徽派は黄山地方(安徽省歙県)を拠点に清代中期まで盛行し各地に拡がった。漢印の正統な作風を基礎に新鮮味を加えた作風であった。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">18世紀になると杭州に丁敬を開祖として浙派が興る。徽派と同じく漢印を基礎としていたが、旧習から脱却し素朴な力強さを特色とした。黄易・蒋仁・奚岡・陳豫鐘・陳鴻壽・趙之琛・銭松など優れた篆刻家が育ち、西冷八家と呼ばれた。清末には呉昌碩・斉白石など次々と優れた篆刻家が現れている。」(以上引用文)</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> ここで古浩興先生を私の読者にご紹介しよう:古浩興先生のお名前を知る切っ掛けは、京都書壇の巨匠・杭迫柏樹先生の京都文化博物館での個展でのことでした。そこで古先生の篆刻作品もガラスケースに展示されていました。その後ご縁があり、関西の芸術家達が集う琵琶湖のイベントで古先生とお会いする機会を得ました。古先生は多才でユーモアに溢れた方でした。苗字の「古(こ)」の字を上下に分けて「十口(とくち)」と冗談で名乗られていたのがとても印象的でした。賢明な方とお話する事は良書を読む事と同様に大変勉強になる---ということで、この日念願叶ってやっと古先生との再会を果たせたのでした。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 古浩興先生は1959年中国の上海に生まれました。字は仲起、号は頌今です。幼少より書法を学び、後に篆刻の名家・銭君匋に師事。『外務大臣賞』をはじめ数々の作品が美術展に入選・入賞し、中国文化部より『世界華人芸術家』の栄誉称号を授与されました。西冷印社社員、中国書法家協会上海分会会員、香山堂主宰。日本に来られてから30数年、現在は京都にお住まいです。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 京都の古先生のアトリエには、その時々に先生が嵌まってこられた趣味のコレクションが沢山置いてありました。香炉、盆栽、茶道具、拓本などなど。趣味も遊びも徹底して追求し、どれも専門家のレベルにまで達しておられるのです。更には登山、写真・・・篆刻以外にも次々と専門的なお話をして下さいました。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">絵や字などの作品自体は勿論のこと、そこに押される印にもその作家の教養や品格などが現れます。小さな印にその作家の人と成が全て籠められている、と言っても過言ではありません。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 日本の道釈画家として有名な七類堂天谿氏も古浩興先生の印を愛用しておられる一人です。それは画家の絵と篆刻家の印との最高のコラボレーションなのです。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">同行の日本人の友人たちもその凄さに大変感服していました。彼女たちにとってこの訪問は、自身の作品中での印の重要性を改めて考えさせられる、意義深いものとなったのでした。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">  執筆者:李留雁</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 【中國語】得知古浩興先生回到京都,相约3月9日与日本友人一同前去拜访。我是2年前京都書壇泰斗杭迫柏樹先生在「京都文化博物馆」個展时,在用印专柜里见到杭迫先生的多方印章是古浩興先生之作,印象很深,有幸在之后的艺术家琵琶湖聚会时得会古先生本人……</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">&nbsp;&nbsp;&nbsp;古先生多才幽默、初次见面时他将姓“古”字上下分开说“我叫‘十口’&nbsp;!”的自我介绍给我留下很深的印象。与賢明的良师益友谈话如读好书,时隔2年如今企盼与古先生的再会得以实现。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">介绍古先生之前,和未接触过篆刻的友人一同简略了解一下与篆刻相关的知识吧:篆刻起源于中国,篆書印是篆刻的正統,楷書文、鳥虫文、肖像文印等。还有金属的銅、金等鋳造成的印章也称篆刻。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;"> 中国的篆刻史也是印章史。传说起源于古代的夏・殷・周,現在史料确有记载的最古的印章可追溯到戦国時代。材質多为銅,也有銀和玉等。常见的是朱文、白文印。秦始皇時代印章制度建立,皇帝用的称“印璽”,官吏等用的称“印”。漢代将軍的印称为“章”。印章材質尺寸・形、鈕式等代表着階級和官職。这时的印文以小篆为主,到了漢代印章用的篆書登場。至今印章一般仍用篆書。这时鳥蟲書这一独特書体开始被运用于篆刻。六朝時代除小篆外还有懸針篆書体,北斉的文献上捺的朱印是最古的記録。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">隋朝中国紙的普及,印章从封泥转变成在紙上捺封签。因此印文朱文成为主流。至唐代印文也有隷書和楷書及異民族文字。唐代开始有论印章的美術性的文献,逐渐开始追求印章的芸術性。这样篆刻作为文人业余爱好从北宋的米芾开始了。宋代开始盛行的文人画是詩・書・画上加印章的総合艺术,作为文人画家的米芾追求刻制了适合自己美意識的印。元末的王冕使用了青田石,这一发现,使篆刻艺術在明代文人間得以推广。王冕也学漢印并形成自己印風。明代中期文彭・何震二人也是傑出的篆刻家。文彭终生研究篆刻,研究漢印并用于自己的篆刻中,为篆刻的発展尽心竭力。文彭的弟子何震是徽派始祖,他这一派篆刻家輩出:如蘇宣・梁袠・汪関・朱簡・程邃・巴慰祖等。徽派在黄山地方的活动中心于清代中期盛行普及,也是以漢印为正統基础又加入新鲜感的印风。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">至18世紀杭州以丁敬为始祖的浙派兴起。徽派也同样以漢印为基础,脱却旧习追求素朴苍劲为特色,成就西冷八家:黄易・蒋仁・奚岡・陳豫鐘・陳鴻壽・趙之琛・銭松等優秀的篆刻家。清末又出现呉昌碩・斉白石等優秀篆刻家。</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">接着篆刻史,我来介绍我崇敬的篆刻家古浩興先生:1959年生于中国上海。字仲起,号頌今。儿时学書法、後来跟随篆刻名家・銭君匋師事。荣获『外務大臣賞』并多数作品在美術展入選・入賞,中国文化部授予『世界華人芸術家』栄誉称号。西冷印社社員、中国書法家協会上海分会会員、香山堂主宰。来日本30年、現京都在住。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">京都古先生工作室「香山堂」里摆放着很多古先生的趣味收藏:香炉、盆栽、茶道具、拓本等等。趣味和玩楽他也追求玩到极致甚至达到专家水平。更还有登山、摄影・・・品茗間篆刻以外的专业性极高的话题也接连不断。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">无论是画作自身,并且画作上的印也展现着作家的教养和品格,说印章在方寸之中浓缩着篆刻家的全部也不为過。结识書法篆刻家,使我从另一个角度更加了解了書和印对中国水墨画构图的重要性。《中国画研究》一书中阐述了刻印和书画的结合,形成了中国画艺术异常丰富的姿彩。書法和印章完美的组织在一个画面里,在艺术构思构图上成为画面的有机组成部分,诗书画印,互为表里,共同丰富着一个主题,而又有各别的艺术趣味,突破了绘画的局限,使作品达到更高的艺术水平。</h3> <p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">日本的著名的道释画家七類堂天谿氏也古浩興先生印愛用者之一。百年难能出一位的逸才画家七類堂天谿氏和篆刻家古先生是我看到的画家的“画”和篆刻家的“印”的最高的合作交响。同行的日本友人也发自内心的感佩。这次的訪問对我也对于他们来讲,是将自身的作品中的印的重要性进行再认识的极具意义的拜访了・・・</h3><p style="font-family: -webkit-standard; white-space: normal; -webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.301961); -webkit-text-size-adjust: auto;">執筆者: 李 留雁</h3>